皆様、こんにちは。
秋の夜長、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回のテーマは、
2025年秋ドラマとして現在(2025年10月)放送中である
「もしこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」
の第1、2話の感想です。
もしこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう(以下、もしがく)。
1984年の渋谷を舞台とした、脚本家・三谷幸喜の自伝的作品です。
主演は菅田将暉ですが、三谷幸喜をモデルとするキャラは神木隆之介が演じています。
このドラマを見ようと思った経緯を説明します。
私は三谷幸喜脚本の2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」に当時ドはまりしました。
回を追うごと(特に後半)にダークサイドに堕ちていく主人公、古代の政権争い特有の血で血を洗うパワーゲームと群像劇、たまにメタいナレーション、成長の著しさ、必然性の無い場面で上裸になる男たち、オンブレブンビンバ。
最初はなんとなく見ていたのが、最終的にはまるで週刊連載の少年漫画を追いかけるような熱量になっていました。
そして、この「もしがく」。
脚本は三谷幸喜で、俳優は「鎌倉殿」出演者が多めなので、見てみようかなと思った次第です。
ちなみにガッキーは出ません。オンタラクソワカ。
というわけで、1話ずつ感想を述べていきます。
【但し書き】
アラサーなので、昭和については語れません。
恥ずかしながらシェイクスピアも知らないため、ストーリーや役者などへの感想が10割となります。
第1話
一言でいえば、視聴者をつかみ切れていませんでした。
開幕から主人公の演出家・久部が所属劇団と喧嘩別れし、その勢いで通りすがりの若者集団とも衝突します。
この行動を始め全体的に荒っぽく、主人公に対して好感を抱きづらかったです。
菅田将暉って使いどころミスるとちょっとキツい感じになりがちな気がします。
何より、登場人物がひっきりなしに湧いて出てくるので、話がどこに向かってるのか分からず、置いてけぼりになりまくります。家でテレビ見てるだけなのに、何か酔っ払いに絡まれてるときみたいな気分になるのです。
だから1話目の評価は芳しくなく、案の定、ネットのこたつ記事が低い視聴率をネタにしていました。
でも最後はよかったですね。
ストリッパーとして踊るリカ(二階堂ふみ)、そしてストリップ劇場の即席の照明担当になった久部が、照明超しに微笑みあい無言のコミュニケーションをとるラスト。
二階堂ふみのクールビューティな演技が堂に入っていましたね。
あと途中の
(面倒を押し付けておいて)「名乗るものではございませんので。」に対する
「名乗ってください。」
のやりとりはおもろかったです。
エンディングについて。
菅田将暉が現代の渋谷をさまよってます。ドラマ中は三枚目キャラを演じていましたが、なんだかんだでカッコいいすね。
また、昭和が舞台のドラマなのに主題歌が令和の象徴ともいえるYOASOBIである点、絶対なんかありますよね。
第2話
面白かったです。
第一話は久部の乱暴な性格が受け付け難かったのですが、今回は例えばストリップ劇場の支配人(野添義弘)にストリップ用語を連発されて若干引いていたり、芸人のノリに押され気味な蓬莱(神木隆之介)に同情するような発言をしていたりと、常識人ムーブを見せ始め、だけどもその蓬莱にダルがらみをしたりする「らしさ」も発揮していて、一気にキャラとしての魅力が増しました。
最後の、久部がストリップ劇場を舞台劇場に再構築するメリットを語る場面は特によかったです。
菅田将暉の良さ全開でしたね。身長が高く手も長いこの人が大げさなジェスチャーで演説する様は迫力がありました。自分もあの場にいたらきっと提案に乗ってしまうであろう、そんな説得力がありました。
そしてその彼の話に真剣に相槌を打つ登場人物たち。
こういう、主人公が周りのキャラに承認されていく様子を見るのが好きです。
今のところだと、久部と蓬莱の関係性が好きですね。


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